このサイトはアレクサンダーテクニーク教師かわかみひろひこのページです。東京・横浜を拠点に、札幌・旭川・仙台・静岡・浜松・松本・滋賀・大阪・福岡にも定期的に出張し、レッスンしております。

 

講師 かわかみ ひろひこ のプロフィール

かわかみひろひこの肖像

1969年-。

アレクサンダー・テクニーク・インターナショナル(ATI)認定教師。

創始者F.M.アレクサンダー(1869-1955)の曾孫弟子に当たる第3世代。

依頼者である生徒さんへの共感力、問題点を把握のための観察力分析力課題解決のための提案力親切丁寧なレッスンに定評がある。

東京横浜を拠点に、札幌旭川仙台静岡浜松大阪福岡等にも定期的に出張。

東京での最初の教師養成コースの設立に尽力し、1999年の開港と同時に第1期生となる。トレーニング中の2002年11月からディレクターの指示で教え始め、2003年12月すべての課程を終え、修了。以来、プロやアマチュアの演奏家、ダンサー、俳優、故障したボディセラピスト。リハビリ職の方、サラリーマン、OL肩こり腰痛のひどい方etc.幅広く指導する。

演奏家の表現力向上のための「ソマティック・ベース」のディレクターも務める。

数々のメディアにも取り上げられている。

 

1.アレクサンダーテクニークを学び始めた時期と理由

長いあいだ伸び悩んだ芸事の上達に役立つのではないかという淡い期待から、サラリーマンとして働いていた1997年4月から、アレクサンダーテクニークのレッスンを継続的に受け始める。当時は仕事は激務、芸事は伸び悩み、個人的には大変な時期であった。

1997年4月から1998年9月まで当時東京在住のイムレトールマン氏から。

1999年9月から1999年5月まで京都の芳野香先生から。

他に1997年8月と1998年1月にブルース・ファートマン氏のグループレッスンを。

1998年4月、1998年10月、1998年12月にジェレミー・チャンス氏のグループレッスンを受ける(1998年12月のワークショップは私がオーガナイズした)。

1998年9月にウィリアム・コナブル博士から京都で個人レッスンを受ける。

1998年1月頃から、東京でのアレクサンダー教師養成コースの設立に尽力。当初は設立後フェード・アウトする予定だったが、1999年3月の設立と同時に第1期トレーニー(訓練生)となる。

 

アレクサンダーテクニークは当時私にとって次のようなものであった。

日常生活を自由に快適にするのに役立つツール。

「からだ」と「こころ」を統合して向きあうのに役立ちそうな方法。

芸事の上達にも役立ちそうなもの。

分かりにくい。必ずしも、じゅうぶんに教え方の工夫がなされていないか

これについては芳野香先生の非常に工夫された教え方に感化を受け、自分自身もアレクサンダーテクニークの教え方の工夫がしたいという思いが強くなった。

 

 

 

1.アレクサンダー・テクニークのレッスン受講以前

1989年一生を掛けて取り組む芸事に出会う。

同じころ、礼法・弓馬術小笠原流の文献を図書館で探しているときに、偶然アレクサンダー・テクニークの本(サラ・バーカーさんの旧訳バージョン)に出会い、無性にレッスンを受けたくなるが、日本では受けられないと思ってあきらめる。

この頃すでに京都の片桐ユズル氏がアレクサンダー・テクニークの教師を海外から呼んでワークショップをされていたが、当時はインターネットなどない時代でり、知る由もなかった。

大学では「おかしい世の中」をよくしたいと思い、法学科を選択するが、法律学はとてもまっとうな学問で、必ずしも法の不備や運用で世の中がおかしいのではないことに気づく。

目標を失い、法曹を目指すが挫折し、サラリーマンになる。

1996年、趣味に伸び悩んでいることに気づく。それまで以上に先生のご指導に注意し、睡眠時間を削ってお稽古に熱心に取り込むが、かえってますますひどくなる。

どうあがいても、一生懸命努力しても、上達するどころか、ますます下手になる辛さを味わう。

師匠からも兄弟弟子の前で、冷たくなじられ続ける。

ある日、偶然書店で手に取った雑誌で、アレクサンダー・テクニーク終了したワークショップの広告を見かけ、主催者にコンタクトを取る。次回は未定とのことであった。

 

2.アレクサンダー・テクニークのレッスン受講以降

伸び悩んだ趣味の芸事上達のために、1997年からアレクサンダー・テクニークの個人レッスンを継続的に受け始める(1997年4月から1998年8月までイムレトールマン氏に、1998年9月から1999年5月まで京都の芳野香先生に師事)。

従来も「からだ」が大変と思ったことはなかったが、どんどん日常生活で「こころ」「からだ」が楽になる。

具体的に言うと、首が自由になり、肩こりが消え、胸のつまりも消えた。腕や脚がより自由に動くようになる。ということは、以前は実は大変だったということだ。

1998年12月に東京で開催されたジェレミー・チャンス氏のオーガナイズをする。

準備は1998年の10月から。

通訳の手配。WSと個人レッスンの会場の手配・参加者の募集・講師や遠方からの参加者の宿泊の手配等。東京での教師トレーニング開始を念頭に入れてワークショップを準備をする

また東京での教師トレーニングコースATAの設立に尽力。

当初はトレーニングコースを設立したら、アレクサンダー・テクニークからはフェードアウトする予定であったが、芳野香先生のレッスンを受けて、アレクサンダー・テクニークを教えることに興味を持ち始める。

 

1998年4月事務部門からシステム部門に異動。システム設計業務に関わる(2000問題のためのシステム・リフォームにも携わる)

1999年1月勤務先の労働組合の単位分会の代表として、労使交渉に加わり、一般職の女性職員の出向中止を勝ち取る。

自分自身は当日の交渉の席でとても緊張してしまい、けっして上首尾とは言えなかったが、事前の組合本部への根回しが効をそうする。また助力をお願いし、当日交渉の場に来てくださった方たちが、予想外の働きをしてくださり、結果的にうまく行く。

 

3.アレクサンダー・テクニークの教師トレーニング前期

1999年4月に、サラリーマンをしながら、教師トレーニングコースATAスタート時に訓練生になる(ATAオリジナルメンバー)。

自習稽古も含め。芸事のお稽古はしばらくお休みにする。

なおこの頃からようやく世間でのインターネットの利用率が高まる。

たまに訪れるトレーニング・コースの2から3週間の長い休みの期間の後、再会した同級生たちが口々に「ひとりではどうやってよいのか分からない」と言う一方で、進歩を遂げているのを見る。自分もそうなのではないかと思う。

7か月以上言葉だけで教える練習をする。この経験が教師になった後で役立つ。

他の同級生は社会的に未成熟で、精神的に不安定かつ不幸な女性が多かった。生まれて初めて仲間外れにされることと、その辛さを経験。

トレーニング・コースは発足当初ディレクターはジェレミー・チャンス氏、参与ディレクター小野ひとみ氏が務めた。私も間に入って交渉に加わり、芳野香先生も講師陣に加わる。他に片桐ユズル氏、新海みどり氏、イムレ・トールマン氏、チャールズ・グ-ルデン氏・石井ゆりこ氏、松本乃里子氏が定期的に教え、海外からのゲスト・ティーナーも数多く教えてくれた。

この体制は2000年9月のATA京都会議で崩壊する(小野ひとみ氏、芳野香先生、チャールズ・グ-ルデン氏、松本乃里子氏が抜ける。それより前に、新海みどり氏が抜け、イムレ・トールマン氏はスイスに帰国する。石井ゆりこ氏多忙になり、だんだんといらっしゃらなくなる)。

1999年10月、久しぶりにお稽古に参加する。

「からだ」がよく動く。

細かいことを何も考えなくても、うまく動ける。

アレクサンダー・テクニークの効果を改めて実感。

 

2000年6月頃から、イギリスへの渡航を準備する。

トレーニングコースの教授陣同士のコミュニケーションがうまく行っていないことと、トレーニングの内容への不満から。

トレーニング・コースも会社も辞めて、イギリスでトレーニングを始めようとする。

2000年9月ATA京都会議の後、トレーニングコースの教授陣の陣容が変わる。

2000年10月勤務先倒産。これまでいかに恵まれた環境にいたのかと気づく。

遅い夏休みを取って、イギリスに行き、イギリスの複数のトレーニングコースを見学するつもりであったが(航空券チケット取得済み)、休暇は返上。会社を辞めるのも一時やめて、会社の再建に尽力することにする。

芳野香先生から暖かいメッセージをいただく。

また直後に参加したアレクサンダー教師ピーター・グルンワルドさんのアイボディのワークショップで、自分自身の新しい可能性に気づく。

 

4.アレクサンダー・テクニークの教師トレーニング中断

2001年4月勤務先業務再開。勤務先の再建に尽力するため、2001年4月末から2001年10月半ばまで教師トレーニングを一時休止。ほぼ毎日8時から25時過ぎまで半年間近く働く(その間お休みは半日のみ)

心配を掛けていた母方の祖母を失う(死に目に立ち会えず)。

9.11が起こり、世間が騒然とする。

2001年9月末の新しく導入された人事制度に伴う人事考課の結果に唖然とする。正当な評価を受けることができないことの辛さを味わう(この時「おまえはよくやっている」「今はやめるな」と言ってくださった先輩は、私の退社後にごぼう抜きで役員になる)。

 

5.アレクサンダー・テクニークの教師トレーニング後期

2001年10月半ばにトレーニングを再開。

ここまでと、ここから以降のトレーニングで、アレクサンダー・テクニークが次のことに役立つことを実体験。

ストレスの多い環境下で、いわゆる精神的肉体的健康維持増進すること

見取り能力(見て学ぶ能力)や共感力を高めること。

言語身体感覚の文化の異なる方を理解すること。文化会社の先輩や芸事の先生との関係で、次のことに気づく。

同じ日本語を話していても、各個人個人が言葉身体の感覚について、かなりユニーク文化を持っている。

そして文化の遠いもの同士では、努力をしても意思疎通がほとんど不可能なほど困難である。

しかし、人類共通固有感覚観察を基礎に置くアレクサンダー・テクニークは文化のギャップを埋め、相互理解意思の伝達に役に立つ生徒が先生より賢くなること、後輩が先輩に合わせることが容易になる)

技術水準の高い芸事工夫上達に役立つ。

 

2002年6月、何度もレッスンを受講していたキャシー・マデンさんのレッスンに初めて衝撃を受ける。

将来のレッスンの方向を表現力や運動能力の向上に焦点を当てるものにしようと決意。

トレーニング中の2002年11月からディレクターの指示で教え始める。

トレーニング中に埼玉大学の高橋克也先生の知遇を得て、他の同僚を2人誘い埼玉大でワークショップを行う。

2003年7月実習レッスンの生徒さんを募集するため、ホームページ「アレクサンダー・テクニックの学校」を設置。自分で募集した最初の生徒さんは、とても演奏技術の高い、賢いドラム奏者の方だった。この出会いが以降の私のレッスンを再方向づける。

2003年11月10年以上師事していた芸事の先生の元を辞する。

2003年12月ATAのすべての課程を終え、正式に教師となる。

 

6.教師になってから2005年3月末まで

2003年12月。卒業の2日後に、自分で募集したグループに東京・目白で教える。

主に横浜で教え始める。最初の1年間は月に2回横浜のスタジオでグループレッスンを行う。

グループレッスンに苦手意識があったため。

 

2004年12月から朝日カルチャー横浜教室講師(2007年9月末まで)。関東でのカルチャーセンターでの指導の先鞭をつける。

2005年3月末日サラリーマンを辞め、フルタイムでアレクサンダー・テクニークを教え始める。

半年前に辞める予定であったが、同期が病に倒れたため、彼のリーダーを務めていた、プロジェクトのなかの小チームのリーダーを引き継き、プロジェトの遂行に従事する。

辞めた当初は当初は時間に余裕があったので、恵比寿のクシ・マクロビオティック・アカデミーに半年間受講。マクロビオティックはその後1年実践するも現在は中止。

 

7.フルタイムの教師に 2006年12月末まで

2005年4月、フルタイムでアレクサンダー・テクニークを教え始める。

2005年5月から2006年5月にかけて、W・ブレナー氏からNLPトレーニングを受けるが、内容に馴染めず。W・ブレナー氏は、ピーター・グルンワルド氏やボールダウェイ氏(ともにアレクサンダー教師)をトレーニングし、ジェレミー・チャンス氏にも大きな影響を与えた。

 

2005年7月から仙台での出張レッスンを開始(現在も継続中)

2005年7月ウィリアム・コナブル博士のヤマハ楽器銀座店でのワークショップをオーガナイズする。

2005年9月以降ATAでの無償の献身的なお手伝いは中止(しかしATA主催のベテラン教師のWSへの生徒さんの紹介は、2008年半ばまで続ける)。

2005年6月ATA東京会合での主宰者側発言がきっかけ。

2006年5月キャサリン・シンガー氏のNVCのワークショップを受ける。特定のコミュニケーション技術のスキルではなく、自分自身の良心に従って、アレクサンダーのレッスンをしていこうと決意。

 

8.2007年以降

2007年から2008年にかけて催眠療法の権威で臨床心理士の吉本武史先生から、研修を受ける。

改めて次のことを学ぶ。

だれかを操作することは決してできない。

クライアントである生徒さんの可能性に気づき、待つことがとても重要である。

 

2007年1月から6月にかけて、ヤマハ楽器横浜店、ヤマハ楽器新潟店、スガナミ楽器町田店、スター楽器池上店等で、公開講座「アレクサンダー・テクニークで音を変える♪」の講師を務め、好評を博する。

2007年7月から札幌での出張レッスンを開始(現在も継続中)

生徒さんが函館に引っ越されたのと、札幌と旭川からそれぞれ横浜までレッスンを受けにこられた方たちがいらしたのがきっかけになる。

2007年8月から新潟での出張レッスンを開始(2008年11月まで定期的に行ったが、現在は中止)。

2009年7月から福岡での出張レッスンを開始(現在も継続中)

別の教師を呼んでいたグループのオーガナイザーから最初は代役で呼ばれる。レッスンの後、以降は私が呼ばれることになる。

 

9.拠点を東京に移す(2009年10月以降)

2009年10月拠点を東京に移す。

2010年1月埼玉大学教養学部のご依頼で講師向け講座‐FD[FacultyDevelopment の一環]。

2010年3月、日本音楽家ユニオン東北地方本部主催仙台WS(定員10名のグループを3回)。

2010年5月から浜松での出張レッスンを開始(現在も継続中)

静岡県在住の4人の生徒さんからのリクエストがきっかけになる。

2010年6月国立音楽大学のご依頼で、ピアノ専攻の30人の3年生・4年生の学生さんたちに2回にわたってアレクサンダー・テクニークを指導(アシスタント:ピアニスト辰巳京子氏・ピアニスト斎藤真理香氏)。

 

 

現在、かつて薫陶を受けた芳野香先生、折に触れて継続してレッスンを受講しているキャシー・マデン氏、ウィリアム・コナブル博士、ピーター・グルンワルド氏の影響を受けつつ、独自のワークを展開中。